【社員インタビュー】青森・今別で、サーモンの命を「あずかり、向き合う」日本サーモンファーム 淡水部
オカムラ食品工業グループで働くプロフェッショナルが、自身の持ち場・役割について語る社員インタビュー。
今回は、大規模サーモン養殖において「海」をキーワードに記事を書くことの多いなか、淡水での養殖にスポットをあてます。海からイメージされる期待感とその写真から、やや海面養殖場に寄りがちな弊社公式noteですが、淡水での養殖もとても重要なパートなんです。
日本サーモンファーム株式会社 淡水部
太田 卓也(おおた たくや)さん
2021年入社
日本サーモンファームについて
日本サーモンファームは、わたしたちオカムラ食品工業のグループ会社です。当社グループの4つの事業セグメントのうち、養殖事業についての専門知識の蓄積や採算の可視化を目的に、2017年に養殖事業部門が当社から独立するかたちで設立されました。
サーモンの完全養殖をおこなう日本サーモンファームの事業内容としては、稚魚となるサーモンの卵(発眼卵)の買い付けから養殖・出荷販売までと、サーモンの一生を一貫して手掛けます。
太田さんの現在の所属・勤務先は、青森県今別町にある「今別中間養殖場」。眼の前に海があり、背後に見える海面養殖場との距離は約2kmと、連携を取りやすい好立地にあります。
日本サーモンファームでは、管理部門を除く実働部隊の部署としては
・卵から一定のサイズまで育てる「淡水部」
・海のいけすで養殖、水揚げを行うまでを行う海水部
・養殖ノウハウの蓄積と改善を担当する生産管理研究部
に分かれています。サーモン養殖の仕事の流れについては、以下リンクもご覧ください。
太田さんは、入社以来一貫して淡水部所属。ここにもなにか理由があるのでしょうか。それでは直接伺ってみましょう。
入社のきっかけは「明るいあいさつ」
ーー入社から研修を経て、淡水部に所属になったいきさつを教えて下さい。
私は2021年の春に入社しました。入社当初は、繁忙期となるサーモン水揚げ(収獲→出荷)の時期と重なっていたので、まずは海水部の業務となる水揚げの手伝いを現場で感じながら、仕事を覚えていきました。
水揚げシーズンが終わり7月になったところで、青森県深浦町にある深浦大峰中間養殖場に配属、その後現在の職場となる今別中間養殖場に配属になりました。今別での配属から現在でほぼ3年が過ぎました。特に自分から淡水部を希望したということはなく、上長が適正を見ながら決めたのではないかと思っています。
ーー以前はどんな仕事をしていたのですか?
専門学校で学んだ測量技術を活かして、建設会社で現場監督として働いていた期間が長かったです。その後、今別町役場で町の設備を管理する部門に転職し、さらに日本サーモンファームに転職しました。
ーーいろいろな職種を経験していますが、それまでの専門知識が生かされる部分はありましたか?
建設会社にいた時に取得した、フォークリフトをはじめとした重機の取扱資格は、日本サーモンファームでも即戦力として役に立ちました。
また、建設会社で経験してきた現場監督という仕事は、メンバーとの関係を保ちつつ、ひとりでは成し遂げられない大きな仕事を進める実感を得られる仕事です。
わたしは、現在4名(男性:3名 女性:1名)いる今別中間養殖場のスタッフのうち、養殖場長を除く2名のスタッフの育成も担当しています。チームで動くためのメンバーとのコミュニケーションなど、当時の経験が活用できるポイントですね。
ーー今別町役場から日本サーモンファームへの転職のきっかけはどんなことだったのでしょうか?
実は、今別町役場と日本サーモンファームの事務所は徒歩30秒と近く、駐車場から役場への日々の通勤路の間にあります。当時も今も、日本サーモンファームのスタッフは、通りすがったときには大きな声であいさつをしてくれて、スタッフ同士の会話を聞いていても、雰囲気の良さそうな会社だということは感じていました。
役場の仕事は、除雪などの現場作業も多いものの、やはりデスクワークが要の仕事。それまでの建設会社での経験も振り返り、現場に近い仕事のほうが向いている、と思うようになっていた時期に、町の広報誌で求人を目にして応募・転職となりました。
転職にあたり大事にしたのは「今別町で仕事を続けたい」という思いです。私は生まれも育ちも今別町です。一時期は街を離れたことがありましたが、その時に今別という町が好きだということを再確認しました。また、親元の近くで働きたいという思いもあります。
命を預かる仕事への覚悟
ーー淡水部の仕事において、大事なことはどんなことでしょうか?
これは淡水部・海水部のへだてなく、日本サーモンファームの全スタッフの根底にある意識ですが、サーモンの命を預かる仕事という重み・責任のある仕事だと感じています。例えるなら、家庭で金魚を飼う作業が仕事になり、魚体は最大で3-4kgになり、その数は会社全体であれば100万尾にわたる、ということです。
ーー尾数をあらためて認識すると、緊張感を感じますね。
中でも淡水部は、より繊細な発眼卵からの孵化から養殖がはじまり、比較的丈夫でない幼い時期のサーモンのケアを担当するチームです。
また、私の所属している今別中間養殖場は、地下水を井戸でくみ上げた水でサーモンを育て、使用した水から汚れや二酸化炭素を取り除き(浄水)、酸素を付加した水を循環・再利用する方式で養殖を行っています。
水の再利用にはポンプをはじめとした水設備や酸素供給設備に、絶え間なく電気と酸素を使います。浄水と酸素の供給がわずかな時間でも絶たれれば、万単位のサーモンの命を危機にさらします。
ーーいわば生命維持装置の中で養殖していることになりますね。
台風や線状降水帯など、災害対策には常に目を光らせ、必要な日にはメンバーと分担して夜回りの番を行うこともあります。勤務日でなくても、自宅の窓が強風で大きく揺れれば、常にサーモンのことが頭に浮かびます。
停電や地震などで電力・酸素供給に問題が発生した場合、真夜中であろうと休日であろうと、すぐに現場に駆け付けて、最後に対策を行うのはわたしたちスタッフです。オカムラ食品工業グループ全体に影響を及ぼす、会社の大事な資産を預かる仕事として、ここについては緊張感をもって業務にあたっています。
淡水部は、11~12月にはじまる孵化から1年間かけて、大きく健康なサーモンを海水部に引き継ぐのがミッションです。引き渡す際の魚体のサイズ・重量が重要な数値目標になります。
淡水部での養殖期間に魚体が大きくできれば、より丈夫で、水揚げの際にも大きなサーモンを水揚げ・出荷することになり、それは売上・利益にも直結します。
病気の早期発見・対策や日々のエサやりでの観察など仕事は絶えませんが、目標を達成して海水部に引き渡すことができたときはには大きな満足感・達成感を感じられる仕事です。
若い世代にとって、今別町を魅力的な場所に
ーー太田さんにとっての仕事の原動力はどこにあるのでしょうか?
わたしは今別町が好きです。この町で育った自身も、この町にいる人も、誇りを持ってこの町で働き、経済的にも最低限以上に豊かなくらしを得られる場所であってほしいと思っています。
わたしがここで働くことで、例えばこの記事を今別町の若い世代が目にすることで、この会社・地域でくらし続けられるという1つの好事例として見てもらいたい、という思いがあります。
ーー青森県今別町は、青森県内で最も高齢化の進んだ自治体ですね。
はい。私の卒業した地元の高校、今別高校は2022年3月末に最後の卒業生10名を見送り、廃校となりました。人口は減少が続いており、統計だけ見れば将来が明るい、とは見えにくい地域です。
だからこそ、自分を育ててくれたこの町に元気な会社・産業があるということを、自身の働きで証明したい、見せ続けたいという気持ちは、今も強くあります。
わたしたち日本サーモンファームの従業員の平均年齢は35.9歳、ボリュームゾーンの世代は30代の13名です。今別町で生まれ育ち、一度県外などで働いたのち当社に就職したいわゆるUターン社員も数多くいます。
また、大規模生食用サーモン養殖という産業についても、日本に導入が始まってから10年と経っていない若い産業です。高齢化率が青森県で一番の今別町で、若い世代が若い産業を推進しているなんて、なんか痛快じゃないですか(笑)
ーーいいですね。「痛快」という言葉がぴったりのお話です!
おわりに
中の人のインタビュー中だけでなく、普段養殖場で業務内容を教えてもらうときにも、太田さんは常に穏やかで沈着な人、という印象でした。
インタビューを終えてみて思うのは、命を預かる仕事に対する責任感と、生まれ育った今別町に対する思いの強さです。その柔らかい物腰は、揺るぎない思いを原動力とした「芯」から産まれるように感じました。
若い世代と若い産業、ここ青森県今別町にはそんな魅力に詰まった仕事があります。少しでも興味を持ったかたは、ぜひわたしたちオカムラ食品工業の採用サイトをご覧ください。今回ご紹介した日本サーモンファームの採用についても、こちらにリンクがあります。ご応募をお待ちしております。